2011年 11月 25日
辛亥革命100年 |
11月21日から23日まで3夜連続、NHK-BSプレミアムで放送されたシリーズ『辛亥革命100年』を見ました。非常に見ごたえのあるすばらしい番組で、思わず「う~ん」と唸ってしまいました。
1夜目のテーマは「孫文 革命を支えた日本人」。革命指導者・孫文が亡命先の日本で出会った梅屋庄吉や宮崎滔天、山田良政・純三郎兄弟らの支援を得て、清朝に代わる新たな国家建設を目指す過程を追ったものでした。
梅屋や宮崎が莫大な資金を提供し、経済的にバックアップした話は世間によく知られていますし、孫文が横浜に滞在中、日本人と交際し子どもができたことなどもかなり知られています。
しかし、山田良政・純三郎兄弟のことはあまり知られていなかったので、驚きました。良政は孫文が中国で蜂起する際、広東省恵州で殉死したとのことで、その意思を継いだ純三郎はその後もずっと孫文の精神的支援を続け、最後、孫文が亡くなるときに死の床にいた、たったひとりの日本人だったそうです。
また、もっと驚いたのは日本軍の宇都宮太郎、「坂の上の雲」に登場した秋山真之も孫文の革命に注目し、ひそかに連携を模索していたことでした。秋山はおそらくそのことが原因となって左遷されたとか。秋山は日中が連携することで、アメリカに対抗しようとしていたそうです。
2夜目のテーマは「ラストエンペラー 真実の溥儀」。清朝最後の皇帝、溥儀の人生と日本との関わりを描いたものでした。これは、日本でもかなり知られている内容が多かったのですが、側近、工藤忠のことは知りませんでした。
彼もまた、溥儀の全幅の信頼を受け、つねに傍らにいて溥儀を支え続けた唯一の日本人でした。東京裁判のとき、証人としてシベリアから呼び出された溥儀と工藤が再会した場面は胸を打つ話です。3度も即位と退位をさせられ、翻弄された悲しい人生。孤独だっただろうと思います。
3夜目のテーマは「蒋介石 秘められた対日戦略」。蒋介石といえば、国共内戦に破れ、台湾に逃れた人物として知られ、私の中の蒋介石のイメージは台湾にありました。(台湾の人々を苦しめたというイメージです)
しかし、国費留学生として日本に留学し、陸軍士官学校に学び、国民党の軍人となってドイツから軍事顧問を受け入れて歩兵を強化したことなどはあまり知りませんでした。
侵略してきた日本と対抗するため、共産党と国民党は一致協力すべきだとの張学良の薦めを受け入れ、周恩来と会談したことも語られていますが、驚いたのは1990年にNHKスペシャルで放送された伝説の番組「張学良は語る」の映像が再度放送されたことでした。
西安事件を語った張学良の映像があれば、どんな再現シーンにも勝る迫力です。
3夜ともしっかり目を凝らしてみて、勉強になりました。それにしても、わずか100年の近代史、とくに中国の歴史的革命に、いかに日本人が深く関わってきたことでしょうか!!
孫文の革命を実現させるため、数百人以上の日本人が支援を惜しまなかったのです。もちろん、日本も相当悪いことをしました。それは絶対に消せない事実で、これからも日本が背負っていく十字架ですが、一方では一時期、惜しみない支援もしたのだということ、そして、それが清朝崩壊に結びつく一因にもなったのだということを、多くの日本人と中国人(とくに若い人)に知ってほしいです。
番組の中では、孫文の広東省にある生家、918記念館、溥儀が暮らした長春の宮殿、張作霖爆破事件の現場となった旧満鉄の線路の脇にある石碑、台湾の映像資料館、西安事件の舞台となった華清池なども紹介されていました。これらのほとんどに私は足を運んだことがあり、自分がいかに中国各地を見てきたかに、ちょっと驚きました。私ってすごい・・・と(自画自賛?笑)
残念ながら、知識と経験ばかり積んで、それが何の肥やしにもなっていませんけど。
1夜目のテーマは「孫文 革命を支えた日本人」。革命指導者・孫文が亡命先の日本で出会った梅屋庄吉や宮崎滔天、山田良政・純三郎兄弟らの支援を得て、清朝に代わる新たな国家建設を目指す過程を追ったものでした。
梅屋や宮崎が莫大な資金を提供し、経済的にバックアップした話は世間によく知られていますし、孫文が横浜に滞在中、日本人と交際し子どもができたことなどもかなり知られています。
しかし、山田良政・純三郎兄弟のことはあまり知られていなかったので、驚きました。良政は孫文が中国で蜂起する際、広東省恵州で殉死したとのことで、その意思を継いだ純三郎はその後もずっと孫文の精神的支援を続け、最後、孫文が亡くなるときに死の床にいた、たったひとりの日本人だったそうです。
また、もっと驚いたのは日本軍の宇都宮太郎、「坂の上の雲」に登場した秋山真之も孫文の革命に注目し、ひそかに連携を模索していたことでした。秋山はおそらくそのことが原因となって左遷されたとか。秋山は日中が連携することで、アメリカに対抗しようとしていたそうです。
2夜目のテーマは「ラストエンペラー 真実の溥儀」。清朝最後の皇帝、溥儀の人生と日本との関わりを描いたものでした。これは、日本でもかなり知られている内容が多かったのですが、側近、工藤忠のことは知りませんでした。
彼もまた、溥儀の全幅の信頼を受け、つねに傍らにいて溥儀を支え続けた唯一の日本人でした。東京裁判のとき、証人としてシベリアから呼び出された溥儀と工藤が再会した場面は胸を打つ話です。3度も即位と退位をさせられ、翻弄された悲しい人生。孤独だっただろうと思います。
3夜目のテーマは「蒋介石 秘められた対日戦略」。蒋介石といえば、国共内戦に破れ、台湾に逃れた人物として知られ、私の中の蒋介石のイメージは台湾にありました。(台湾の人々を苦しめたというイメージです)
しかし、国費留学生として日本に留学し、陸軍士官学校に学び、国民党の軍人となってドイツから軍事顧問を受け入れて歩兵を強化したことなどはあまり知りませんでした。
侵略してきた日本と対抗するため、共産党と国民党は一致協力すべきだとの張学良の薦めを受け入れ、周恩来と会談したことも語られていますが、驚いたのは1990年にNHKスペシャルで放送された伝説の番組「張学良は語る」の映像が再度放送されたことでした。
西安事件を語った張学良の映像があれば、どんな再現シーンにも勝る迫力です。
3夜ともしっかり目を凝らしてみて、勉強になりました。それにしても、わずか100年の近代史、とくに中国の歴史的革命に、いかに日本人が深く関わってきたことでしょうか!!
孫文の革命を実現させるため、数百人以上の日本人が支援を惜しまなかったのです。もちろん、日本も相当悪いことをしました。それは絶対に消せない事実で、これからも日本が背負っていく十字架ですが、一方では一時期、惜しみない支援もしたのだということ、そして、それが清朝崩壊に結びつく一因にもなったのだということを、多くの日本人と中国人(とくに若い人)に知ってほしいです。
番組の中では、孫文の広東省にある生家、918記念館、溥儀が暮らした長春の宮殿、張作霖爆破事件の現場となった旧満鉄の線路の脇にある石碑、台湾の映像資料館、西安事件の舞台となった華清池なども紹介されていました。これらのほとんどに私は足を運んだことがあり、自分がいかに中国各地を見てきたかに、ちょっと驚きました。私ってすごい・・・と(自画自賛?笑)
残念ながら、知識と経験ばかり積んで、それが何の肥やしにもなっていませんけど。
by keinakaji
| 2011-11-25 10:24
| 中国