2011年 10月 22日
あの80后は今どこに |
1991年生まれの中国人青年に出会ったことが衝撃的だったもうひとつの理由は、私が大学の卒業旅行に出かけた1990年と、ほぼ同じ頃だったからです。
つまり、私が中国を旅行したときには、まだ彼は生まれていなかったと!!
それだけ自分が年を取ったというわけですね。もう~~、びっくりです。
そう、私が中国各地をバックパックで旅行したのは、1990年2月~3月にかけてのことでした。
まず横浜から上海まで「鑑真号」という船に乗っていき(・・・・この話をすると長くなるので、旅行の話は別の機会に譲りましょう)、とにかく上海から一路飛行機で重慶に向かいました。(ここまでは友人も一緒)
重慶からバスに7時間乗り、そこから大足県という、とてつもない田舎まで、ひとりで足を延ばしました。バスに乗っている外国人なんて、もちろん私だけ。
四川省のなまりが強すぎて、周囲の人が何を話しているのかさっぱりわからず、心配で飲まず食わず(というのはおおげさで、バックパックの中にしのばせていたポッキーをちょっと食べましたけど・・・)、一度もバックパックを背中から下ろさなかったっけ・・・・。
バスの天井には、鶏やら豚やら、大きな荷物がたくさんのっかっていました。
目的地は大足石刻(石窟)という9~13世紀に彫られた仏教石仏が5万体も密集している地域です。この写真のように、巨大な涅槃仏もありました。

私が幼い頃、大好きなさだまさしさんが映画「長江」で紹介していて、どうしても行ってみたかった四川省の秘境でした。今は世界文化遺産にも登録されています。
途中で大きなバスから小さなバスに乗り換えて、やっとの思いで最終目的地の大足石窟に到着したときには、ある若い夫婦と私の3人だけしかいませんでした。
その夫婦が私を見て、すぐに「日本人ですよね?」と声をかけてきました。
最初のうち、私はとても警戒していたのですが、知的な雰囲気が漂うもの静かな夫婦だったことと、普通話(標準中国語)で会話できたことから、結局、私は彼らを頼り、一緒に大足を旅することになりました。
と、正確には、夫婦2人だけでなく、当時1歳ぐらいの赤ちゃんがいました。丸々と太ったかわいらしい赤ちゃんでした。
町まで行くバスは1日1往復しかなく、私と夫婦、赤ちゃんは4人で小さな旅社に泊まり、翌日、重慶まで一緒に戻りました。
細かいことはもう忘れてしまいましたが、覚えているのはみんなで写真を撮ったことや、とても親切にしていただいたこと、そして、私が帰国後にも数回、手紙のやり取りをしたことです。
とても品のいい夫婦でしたが、しばらくして「親戚が日本に留学したいといっているのだが、なんとか協力してくれないか」という手紙と、その人の履歴書を送ってきました。
私自身、まだ就職して間もない頃でしたし、そんなことはできないと思い、簡単にその手紙を無視してしまいました。そして、その夫婦との交流は途絶えました・・・・
その後も、交流のあった中国人から、履歴書や卒業証明書などを何回か送られたことがあったのですが、そのたびに私はいやな気分になり、一切、協力しませんでした。
あの当時、中国を旅した日本人は多かれ少なかれ、このような経験をしていると思いますが、でも、むげに断ったことが、私の心の奥にずっと引っかかっていました。
当時の中国で、出国がどれほど難しく、大変なことだったか。
でも、身内のことで1、2度しか会ったことがない他人に大事な物事を頼むという習慣が日本人にはないので、強い違和感を覚えたことも確かです。
もちろん、協力する気があったとしても、経済力のない私には何もできなかったかもしれないし、むやみに他人の保証人になどなれるはずもないのですが、でも・・・・あの頃のことを思うと、少し胸が痛みます。
あれから20年―。
今、日本では、留学生を含め、在日中国人が急速に増え続けています。石を投げれば中国人に当たるほど、どこにでもいます。
日本人に比べれば中国人の海外出国は今も難しいですが、今は当時とは比べ物にならないくらい、中国も自由になりました。
中国のあまりの変貌ぶりに驚くと同時に、あの頃出会ったあの人は、この人は、一体どうしているだろうと、ときどき、思います。虫のいい話なんですが・・・・。
そして、くだんの20歳の優秀な青年に出会い、残留孤児の本や、私の卒業旅行の思い出話をしていたときに、突然、あのかわいい男の子の赤ちゃんのことを思い出したのです。
あの赤ちゃんがあのまま成長していたら、今、目の前にいるこの若者と同じぐらいの年齢ではないかと―。
そして、あの夫婦もこの若者のご両親と同じぐらい、50歳ぐらいになっているでしょう。
誠実そうな夫婦でしたけど、今はどんな生活をしているのでしょうか?
上海の雑踏の中ですれ違っても、もうわからないな・・・・
当時、上海から四川省まで家族旅行するぐらいですから、きっと、いいお仕事に就いていたのでしょう。でも、1991年生まれのあの青年とメールのやりとりをするたびに、大足での思い出が、私の脳裏をかすめます。
もしかしたら、今、あの青年に本を贈ったり、いろいろと世話を焼いたりするのは、あのときの小さな後悔が、まだ心に残っているから、なのかもしれません。
あ、ところで、大足は本当にすばらしいところ。年をとって、私も誰かと「いい夫婦」になれる日がきたら、ぜひ再訪したい場所です。
そのときは、出会った旅人に、私も優しくしてあげたいと思っています。
つまり、私が中国を旅行したときには、まだ彼は生まれていなかったと!!
それだけ自分が年を取ったというわけですね。もう~~、びっくりです。
そう、私が中国各地をバックパックで旅行したのは、1990年2月~3月にかけてのことでした。
まず横浜から上海まで「鑑真号」という船に乗っていき(・・・・この話をすると長くなるので、旅行の話は別の機会に譲りましょう)、とにかく上海から一路飛行機で重慶に向かいました。(ここまでは友人も一緒)
重慶からバスに7時間乗り、そこから大足県という、とてつもない田舎まで、ひとりで足を延ばしました。バスに乗っている外国人なんて、もちろん私だけ。
四川省のなまりが強すぎて、周囲の人が何を話しているのかさっぱりわからず、心配で飲まず食わず(というのはおおげさで、バックパックの中にしのばせていたポッキーをちょっと食べましたけど・・・)、一度もバックパックを背中から下ろさなかったっけ・・・・。
バスの天井には、鶏やら豚やら、大きな荷物がたくさんのっかっていました。
目的地は大足石刻(石窟)という9~13世紀に彫られた仏教石仏が5万体も密集している地域です。この写真のように、巨大な涅槃仏もありました。

私が幼い頃、大好きなさだまさしさんが映画「長江」で紹介していて、どうしても行ってみたかった四川省の秘境でした。今は世界文化遺産にも登録されています。
途中で大きなバスから小さなバスに乗り換えて、やっとの思いで最終目的地の大足石窟に到着したときには、ある若い夫婦と私の3人だけしかいませんでした。
その夫婦が私を見て、すぐに「日本人ですよね?」と声をかけてきました。
最初のうち、私はとても警戒していたのですが、知的な雰囲気が漂うもの静かな夫婦だったことと、普通話(標準中国語)で会話できたことから、結局、私は彼らを頼り、一緒に大足を旅することになりました。
と、正確には、夫婦2人だけでなく、当時1歳ぐらいの赤ちゃんがいました。丸々と太ったかわいらしい赤ちゃんでした。
町まで行くバスは1日1往復しかなく、私と夫婦、赤ちゃんは4人で小さな旅社に泊まり、翌日、重慶まで一緒に戻りました。
細かいことはもう忘れてしまいましたが、覚えているのはみんなで写真を撮ったことや、とても親切にしていただいたこと、そして、私が帰国後にも数回、手紙のやり取りをしたことです。
とても品のいい夫婦でしたが、しばらくして「親戚が日本に留学したいといっているのだが、なんとか協力してくれないか」という手紙と、その人の履歴書を送ってきました。
私自身、まだ就職して間もない頃でしたし、そんなことはできないと思い、簡単にその手紙を無視してしまいました。そして、その夫婦との交流は途絶えました・・・・
その後も、交流のあった中国人から、履歴書や卒業証明書などを何回か送られたことがあったのですが、そのたびに私はいやな気分になり、一切、協力しませんでした。
あの当時、中国を旅した日本人は多かれ少なかれ、このような経験をしていると思いますが、でも、むげに断ったことが、私の心の奥にずっと引っかかっていました。
当時の中国で、出国がどれほど難しく、大変なことだったか。
でも、身内のことで1、2度しか会ったことがない他人に大事な物事を頼むという習慣が日本人にはないので、強い違和感を覚えたことも確かです。
もちろん、協力する気があったとしても、経済力のない私には何もできなかったかもしれないし、むやみに他人の保証人になどなれるはずもないのですが、でも・・・・あの頃のことを思うと、少し胸が痛みます。
あれから20年―。
今、日本では、留学生を含め、在日中国人が急速に増え続けています。石を投げれば中国人に当たるほど、どこにでもいます。
日本人に比べれば中国人の海外出国は今も難しいですが、今は当時とは比べ物にならないくらい、中国も自由になりました。
中国のあまりの変貌ぶりに驚くと同時に、あの頃出会ったあの人は、この人は、一体どうしているだろうと、ときどき、思います。虫のいい話なんですが・・・・。
そして、くだんの20歳の優秀な青年に出会い、残留孤児の本や、私の卒業旅行の思い出話をしていたときに、突然、あのかわいい男の子の赤ちゃんのことを思い出したのです。
あの赤ちゃんがあのまま成長していたら、今、目の前にいるこの若者と同じぐらいの年齢ではないかと―。
そして、あの夫婦もこの若者のご両親と同じぐらい、50歳ぐらいになっているでしょう。
誠実そうな夫婦でしたけど、今はどんな生活をしているのでしょうか?
上海の雑踏の中ですれ違っても、もうわからないな・・・・
当時、上海から四川省まで家族旅行するぐらいですから、きっと、いいお仕事に就いていたのでしょう。でも、1991年生まれのあの青年とメールのやりとりをするたびに、大足での思い出が、私の脳裏をかすめます。
もしかしたら、今、あの青年に本を贈ったり、いろいろと世話を焼いたりするのは、あのときの小さな後悔が、まだ心に残っているから、なのかもしれません。
あ、ところで、大足は本当にすばらしいところ。年をとって、私も誰かと「いい夫婦」になれる日がきたら、ぜひ再訪したい場所です。
そのときは、出会った旅人に、私も優しくしてあげたいと思っています。
by keinakaji
| 2011-10-22 13:25
| 中国