2012年 12月 06日
代を継いでいくということ |
18代目中村勘三郎さんがお亡くなりになりましたね。年齢的にまだ若いですし、18代目を襲名して、これから、というときですので、非常にショックでした。
テレビで放送しているのを見ると、初代は江戸時代よりも前の1597年ごろのお生まれだそうですね。なんと415年前です。
それから、途中は紆余曲折あったとしても、18人の人が「中村勘三郎」という名前を継いでいったことになります。本当にすごいことだな、と思います。
先日、鹿児島でお会いしてきた沈寿官さんは、14代目です。
現在は15代目が家を継いで活躍しており、男の子のお子さん(16代目)もいらっしゃるそうですので、安泰ですね。
先代(14代目)によると、沈家として初めて、先代が生きている間に相続したんだそうです。自分が家を継ぐときに苦労したので、生きているうちに・・・・ということだそうです。
沈家も豊臣秀吉の朝鮮出兵の後半、「慶長の役」(1597年~1598年)のときに、日本に連れてこられていますので、なんと初代中村勘三郎さんと同じ時期です。
400年もの間、家を守っていくというのは、本当に大変なことですね。
ヨーロッパでは「何世」という表現をするのかもしれませんが、「○代目」というのは東アジアでは日本だけではないでしょうか?
考えてみれば、日本人は「バトンリレー」が好きな民族だなぁ、と思います。
箱根駅伝があんなに盛り上がるのも、一人の活躍ではなく、「なんとか襷を繋ぎたい」という、その純粋な心に感動するからではないでしょうか?
自分は犠牲になってもいい、後ろのメンバーにがんばってほしい、という気持ちは日本人独特のものがあると思います。
自分が、自分が、という傾向が強い中国人にはなかなか見られないことかな、という感じもします。
中国で「○代目」なんて聞いたことがありません。韓国でもほとんどないと思います。せいぜい3代目とか4代目でしょう。
変な言い方ですが、沈家も、日本、しかも薩摩にきたことによって、逆境の中にあっても、ここが比較的平和だったからこそ、家を守り、伝統を継いでこられたのではないか、という気もします。 (もちろん、連れてこられたことを肯定するつもりはありませんが)
中国も韓国も動乱の時代、戦争状態が長かったですから、かの国で家を守っていくことは至難の業でした。
そう考えると、やはり、日本は幸せな国なのだと思わされます。
テレビで放送しているのを見ると、初代は江戸時代よりも前の1597年ごろのお生まれだそうですね。なんと415年前です。
それから、途中は紆余曲折あったとしても、18人の人が「中村勘三郎」という名前を継いでいったことになります。本当にすごいことだな、と思います。
先日、鹿児島でお会いしてきた沈寿官さんは、14代目です。
現在は15代目が家を継いで活躍しており、男の子のお子さん(16代目)もいらっしゃるそうですので、安泰ですね。
先代(14代目)によると、沈家として初めて、先代が生きている間に相続したんだそうです。自分が家を継ぐときに苦労したので、生きているうちに・・・・ということだそうです。
沈家も豊臣秀吉の朝鮮出兵の後半、「慶長の役」(1597年~1598年)のときに、日本に連れてこられていますので、なんと初代中村勘三郎さんと同じ時期です。
400年もの間、家を守っていくというのは、本当に大変なことですね。
ヨーロッパでは「何世」という表現をするのかもしれませんが、「○代目」というのは東アジアでは日本だけではないでしょうか?
考えてみれば、日本人は「バトンリレー」が好きな民族だなぁ、と思います。
箱根駅伝があんなに盛り上がるのも、一人の活躍ではなく、「なんとか襷を繋ぎたい」という、その純粋な心に感動するからではないでしょうか?
自分は犠牲になってもいい、後ろのメンバーにがんばってほしい、という気持ちは日本人独特のものがあると思います。
自分が、自分が、という傾向が強い中国人にはなかなか見られないことかな、という感じもします。
中国で「○代目」なんて聞いたことがありません。韓国でもほとんどないと思います。せいぜい3代目とか4代目でしょう。
変な言い方ですが、沈家も、日本、しかも薩摩にきたことによって、逆境の中にあっても、ここが比較的平和だったからこそ、家を守り、伝統を継いでこられたのではないか、という気もします。 (もちろん、連れてこられたことを肯定するつもりはありませんが)
中国も韓国も動乱の時代、戦争状態が長かったですから、かの国で家を守っていくことは至難の業でした。
そう考えると、やはり、日本は幸せな国なのだと思わされます。
by keinakaji
| 2012-12-06 13:45
| 身近なこと