台湾友愛会 |
友愛会は日本語教育を受けた、現在80歳以上の老人たちを中心に、92年に6名で創設された同好会で、私も一度だけ、おじゃましたことがあります。
日本が台湾を統治していたころに、小学生以上だった方々は、学校で日本語を母国語として学んできました。
その後、戦争が終わり、日本が去っても、日本語を懐かしみ、日常生活では台湾語と同様に、日本語を使ってきた世代です。(韓国では考えられないことですが、台湾では、そういう人々が大勢いました)
私は90年代後半、頻繁に台湾に出かけており、陳さんとはそのころ、司馬遼太郎さんの「街道を歩く 台湾編」に出てくる台湾人の方のご紹介で、知り合いました。
手元に唯一残っている「友愛 第4号」(2004年6月発行)を読み返してみると、300ページにも呼ぶ分厚い立派な雑誌で、36篇ものエッセイや漢詩が収められています。
2004年の時点で会員は100名余り、名簿を見ると、お会いしたことのあるご老人のお名前を数名見つけましたが、このうち、今は何人ご存命でしょうか。
巻末におもしろい付録を見つけました。「台湾語化した日本語」リスト。有名な「あなた」、「うんちゃん(運転手)」、「おばさん」、「おれん(おでん)」などのほかに、「きーも(気持ち」、「さんそ(酸素)」、「せびろ(背広)」などもありました。
以前、台湾の田舎に行くと、よく老人たちが台湾語と日本語をミックスでしゃべっている光景に遭遇したものでしたが、月日の流れとともに、もう、そういう風景もほとんど見られなくなっていますね。
陳さんは私の父が亡くなったとき、わざわざ台湾から東京に電話をかけてきて、心配してくださいました。
ご冥福をお祈りします。