2021年 08月 28日
王光美さんの評伝 |
先日、NHKーBSで放送された「映像の世紀」という番組を見て、その中で紹介されていた劉少奇の妻の王光美さんに興味を持ちました。
日本語の本として1冊だけ、2006年に発行された『江青に妬まれた女 ファーストレディ王光美の人生』(NHK出版)という本があったので、図書館で借りて読んでみたところ、とてもおもしろかったです。
王光美さんが歩んだ苦難の人生には、考えさせられることばかりでしたが、個人的に注目したのは言語の問題です。
王光美は、湖南なまりがひどい夫の劉少奇と、上海語と英語しか話せない宋慶齢の間に入って、英語で通訳したことがある、という部分です。
王光美は北京のミッションスクールの出身で、英語の通訳をしていたこともあるので、英語が達者でしたが、中国人同士でも出身地が違うため、会話に不自由することがある、というのは、おもしろいエピソードでした。
また、同書では、そこから類推して、宋慶齢は夫の孫文とも英語で会話していたのではないか?と書いてありました。
孫文は広東人ですから、広東語が母国語。ただし、香港で医学を学び、ハワイに滞在していたこともあるので、英語はできただろう。
宋慶齢も英語ができたから・・・・というのが著者の推測でしたが、その可能性も確かにあるな、と私も思いました。
そして、もう1つ。数年前に、湖南省長沙を訪れ、クルマで、毛沢東の故郷にある生家を見学に行くとき、高速道路の途中で運転手さんが「このあたりが劉少奇の故郷ですよ。毛沢東の故郷とすぐ近くなんですよ」といっていたことを思い出しました。
ウィキペディアを見ても、毛沢東と劉少奇の故郷は、わずか20キロほどしか離れていない、と書いてあります。
同じ湖南省出身でも、山を越えれば言葉がまったく違うと聞きますが、きっと政権中枢部にいた2人は、ほとんど同じ方言で会話することができたのではないか、と思いました。
by keinakaji
| 2021-08-28 10:16
| Books