昨年出版された「
北の無人駅から」(渡辺一史著、北海道新聞社刊)を読みました。私と同じ年、1967年生まれのフリーライターの方が書いた本です。
同著者が2003年に書いた「
こんな夜更けにバナナかよ」(北海道新聞社刊)は、あまりにもインパクトのあるタイトル名と大宅賞を受賞した本であることもあって、さすがに知っていましたが、読んだことはなく、昨年出版されたこの本のことも知りませんでした。
読んで、愕然としました。
その、ものすごい取材量に・・・・・。
自分も記者のはしくれですから、どのぐらい取材すれば、どのぐらい情報が集まるか、どのぐらいの分量の文章が書けるかは一目瞭然、すぐにわかります。300ページの本を書くだけでも大変な労力なのに、この著者の本はなんと800ページ!
タイトルからわかるように、北海道の無人駅と、その駅周辺に住む人々、駅にかかわる人々の生きざま、出来事などを丹念に取材しています。登場するのは市井の人々。ごく普通の隣人です。
本の中では取材先とのやりとりがそのまま表現していて、フリーライターなのに
フリーターと勘違いされる場面も(笑)。私もときどき「ああ、フリーターですね」と言われますので、よくわかります。
一般の方を取材する苦労も垣間見られました。企業の広報を通じて取材するのなら、応接間に通されて、おぜん立てまでしてくれますが、一般の方だとそうはいきません。「あんた、一体何しにきたの?」と怪訝がられることもしばしばです。
私の場合、企業相手の取材が多いので、幸い、そういう心配はあまりありませんが、逆にビジネスマンは公式的なことしか発言しないので、応接間で本音を聞き出す苦労は、一般の方を取材するより多いかもしれません。
でも、この本を読んで「
うらやましいな」と思ったのは、本の内容から脱線していると思われることも、かなり詳しく書いている点です。だから800ページにもなった、ともいえますが、ふつうは編集者がカットしてしまうでしょう。
ページが増えればそれだけ本が分厚くなり、本論からずれていき、本の価格が上がり、結果として、その本は売れなくなるのですから。
私の著書「
中国人エリートは日本人をこう見る」(日経プレミアシリーズ)でも100人の中国人にインタビューしましたが、書けなかったことのほうが多かったです。新書という制約もありますし、本論に直接関係ないこと(でも、おもしろいこと)は省かざるを得ませんでした。
省いたほうが本がすっきりとし、論旨もわかりやすく、コンパクトにまとまることは確かですが、その省いた内容は、この先、誰の目にも触れることはありません。「省かれた内容」は、取材した著者だけの情報となって、埋もれてしまいます。
削ぎ落さない文章には無駄もあり、読みにくい場合もあるのですが、そこから読者が新しい発見をすることもあります。本書でも、そういう発見がいくつかありました。
それにしても、「
あとがき」は同業者として、身につまされました。
著者は北海道に関する観光情報誌やパンフレットなどの制作物の仕事に携わってきましたが、それらの「生活のため」の文章を書きながらも、「どれもこれもウソばかり書き連ねてきたという思いが強い」と打ち明けます。
手抜きはもちろんしていないけれど、常に一定の企画意図に基づき、定型を逸脱しない範囲で、自明な落とし所に向かって「北海道」を発信してきた、というのです。
私の場合は観光パンフレットなどの仕事はしませんが、企業の広報誌などを書くときには、同じように忸怩たる思いをした経験があります。
「北海道」とは違いますが、ある取材先について、人物や業種は毎回変わりますけど、似たようなストーリーを何百回、何千回と書いてきたのです。
取材をして書く。その繰り返し。長年やっていると、ときには、そこに「おもしろみ」を感じないことも・・・・・。
著者と同じように、いつも「これでいいのか」と悩んできました。その悩みは尽きません。ですから、この著者の「あとがき」は胸に迫りました。
ああ、この著者も私と同じ気持ちなのだなぁ、と。
それにしても、なんと粘り強く、まっすぐな人なのでしょう。世の中には楽な仕事をして、多額の金銭を得ている人が大勢いるというのに、これだけ真摯に取材対象と向かい合い、何年かかってでも、納得のいく本を書く。
そこに、一体どれだけの時間とお金がかかっていることでしょう!
あらためて、多くのことを考えさせてくれた名著でした。
いつか、この無人駅の中のどこかに旅してみたいなぁ。