昨日は急いで原稿を書き終えたあと、東京・四谷にある韓国文化院で開催中の
『モダン都市 京城の巡礼 鐘路・本町展』を見に行ってきました!
3月にソウルで行われた展示会『京城 1930』で展示されたものの
一部を持ってきたものだそうで、前評判通り、すばらしい展示でした。
入り口にはこんな看板がありました。
12日の朝日新聞朝刊に詳細が載っていますが、実は、この展示会のメーンとなっている植民地時代の地図は、ソウルの漢陽大学で日本建築を教える冨井正憲教授が25年もの歳月をかけて再現したのだそうです。
韓国では、長年、植民地時代の都市文化を「自分たちの歴史」と見なさなかったため、なんと、当時の詳細な都市地図は残っていないのだそうです!
おどろきですね~。
こちらは正面に飾ってあった「京城博覧会」と書かれた大きな絵地図です。下に見えるのは線路で、左側が京城駅、右側が龍山駅。右側に見える青い山(南山)のふもとにあるのが朝鮮神宮です。
冨井教授は、1982年に初めて韓国を訪問したとき、東京の街並みのような郷愁を覚えたといい、都市の成り立ちを考える上で、日本が近代化を図ろうとした京城がどんな街だったのかに関心を持ったそうです。
日韓の大学や研究機関、古書店、当時の電話帳などのほか、京城の小学校の卒業生や、京城帝国大学の教員だった日本人たちを訪ね歩き、ついに鐘路通りや本町通りの地図を完成させたとか。
まさに足で稼いだ、意義深い功績だと思います。
それに今回、冨井教授が再現した地図を展示することを許容した韓国社会も、少しずつ変わっているのだということを実感しました!
ソウルでは植民地時代の都市の様子を伝える催事は珍しいとのことで、3ヶ月で約3万7000人もの来場者があったそうです。
地図を見ると、「中村時計店」とか、「岡本手芸店」、「三越百貨店」などの店舗の名前がはっきりと読み取れます。
残念ながら、図録やポストカードなどは販売していなかったのですが、私にとっては韓国ドラマ『ソウル1945』に出てきた映像がだぶって見え、とても勉強になりました。
会場では1940年に撮影された映画「京城」も上映されていて、おそらく当時、京城に住んでいたと思われるお年寄りが、懐かしそうに映像に見入っていました。